日本盲教育史研究会

掲載:2015年08月22日

最終更新:2015年08月22日

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河相洌先生に聴く!!

聞き手 : 伊藤友治 ・ 渡辺譲

日時

平成25年9月28日(土曜日)

14時00分から16時00分

場所

静岡県浜松市北区 河相先生宅

略歴

1927年 カナダのバンクーバー市に生まれる。

1945年 慶応義塾大学予科に入学するが、2年後失明のため中退。

1952年 同大学に復学。

1956年 文学部哲学科卒業、滋賀県立彦根盲学校教諭。

1960年 静岡県立浜松盲学校教諭。

1988年 同校退職。

著書
  • ぼくは盲導犬チャンピイ
  • 盲導犬・40年の旅 ―チャンピイ、ローザ、セリッサ―
  • ほのかな灯火 ―或盲教師の生涯―
  • 大きなチビ、ロイド ―盲導犬になった子犬のものがたり―
  • 回想のロイド ―盲導犬との50年―
  • 花みずきの道
  • 想い出の糸 文芸社(平成25年9月15日)

内容

 秋色が濃くなりつつある土曜日の昼下がり、閑静な佇まいの中、奥様とお二人で私達の来訪に対応下さった。

 唐突な質問や要を得ない質問に対し、丁寧にしかも適切に要点をまとめてお話し下さった河相先生の人柄とシャープな頭脳に改めて感服、感激した一時であった。

盲導犬導入当時の苦労話。

昭和25年に失明したが、どうしても人に頼らず自由に行動したいという思いが強かった。その時、昭和14年、小学校6年生の時、ドイツから4頭の盲導犬が来て、傷痍軍人との訓練をしているという新聞記事を見たことを思い出した。そこで、日本にも盲導犬がいないかと探したが、アメリカやイギリスでないといないということであった。

昭和30年、知り合いのアメリカ人から「優秀な子犬がいる」というお話を伺い、いただいた。それが我が国の盲導犬第1号となるチャンピイである。しかし、日本には盲導犬を訓練する施設もないので、躾け等をしながら半年程度を過ごした。これからどうしようかと大変迷い松井新二郎氏に相談した。すると、松井氏からシェパード協会の相馬氏を紹介され、そこから塩屋愛犬学校の塩屋氏に巡り会うことができた。ただ、塩屋氏もアスターという愛犬を盲導犬にしようと試みてはいたものの、殆ど訓練をした経験はなく、全くの手探りであったため、大変な苦労であったろうと思われる。

昭和32年の8月1日から3週間訓練をしたが、なかなか大変であった。導入当時は乗り物にも乗れないため、列車での移動は犬と別行動となり、人も犬も大変な苦労をした。彦根の町の人たちは大変親切であり、むしろ啓発活動が楽しかった。

盲導犬を導入して、自分で自由に歩きたい、白杖よりも広く確かに行動したいという想いが現実となり、大変嬉しかった。

優秀な子犬をもらわれたとのことであるが、盲導犬としての資質が優れていたということなのか。

そうではない。父親の「ピアステンダム」というシェパードは、各種の競技種目で優秀な成績を修め、その世界では大変有名な犬であった。

アイメイト協会の塩屋さんの人となり。

寡黙で頑固な人。大きなことは言わないが、やることは黙々と確実にやった。信念をもって誠実に仕事をする人であった。それに、誠実に応えるのが私の役割だと思った。仕事をする以上は、社会的に意義のあるものとしたいという信念から、自分流に考えて作った。

犬と寝食を共にし、犬の自発性を大切にされた。犬が進んで仕事をするという自発性が大切であるということを常に強調されていた。

4頭の盲導犬と関わられたが、それぞれの特長について。

4頭とも全く違う。それぞれにそれぞれの個性があった。2頭はシェパードであったが、誠に忠実である。

他の2頭はラプラドールであった。これは賢いが、やや遊び癖があった。しかし、柔軟性があり扱いやすいということで、現在日本では99%がラプラドールになっている。

それぞれの犬の特長に対してどのように合わせるのか。また、その良いところをどのように引き出すのか。

個性を飲み込んで、個性を活かすのは人間の仕事である。犬は道具ではない。共に仕事をするパートナーである。家族の一員として部屋の中で一緒に暮らすことが大切。ただ、けじめはしっかりと躾ける必要がある。仕事以外で小さなことでも許してしまうと、それが癖になって、いい加減な仕事をするようになる。

十分な愛情を以て信頼関係を構築し、「ダメなことはダメ」と厳しく躾けることが肝要である。

世界的に見て盲導犬に関し、日本の遅れている点、進んでいる点は。

アメリカ等の国は芸(プログラムや技術)が荒い。日本はきめ細かい。

養成という点から見ると、イギリスはセンターが1カ所で300頭、日本は11カ所で150頭を年間養成している。イギリスは統一されているが、日本は乱立といった感が否めない。現在日本には1000頭の盲導犬がいる。今後は頭数を増やすというよりも質の高さを望む。

例えば、高い所に有る物に対しても注意が払えるような盲導犬。私も何回か木の枝に顔が当たったことがある。その時は、即座にその場で繰り返し、木の枝に注意するような学習をさせる。このようなことに対応できる犬が質の高い犬である。

その際、犬だけではなく盲導犬を持っている人の心構えも非常に大切である。

この50年の間に社会が変わったことは。また、変わらなかったことは。

当初は「盲導犬」という言葉を知らない人が殆どであった。今は知らない人が少なくなり、犬の存在を知っている人が半数以上になったものと思われる。道の状態が随分良くなった。また、信号機の所に押しボタンがつく等、環境が大変良くなった。

周囲の人々の考え方も犬の邪魔をしない等、良くなっている。乗り物への乗車や店への出入りも良くなってきている。体制はできてきたと思われる。

ただ、交通量が増え、交通事情が大変になってきた。その環境に耐えうる犬が必要である。犬は超能力の持ち主ではない。普通の賢い犬であるということを忘れてはならない。しっかりとした訓練で、真面目に働く犬を育てたい。

変わらないことは、犬を自分の遊び相手にしたり、神秘的に考えたりする人がいることである。また、盲導犬を連れて我が物顔に振る舞い、自分の主張を押し通すことは慎みたい。自分が社会の一員であることを常に念頭に置き、人のことを考え、地道に活動したい。

これからどんな社会を望むか。また、そのような社会を目指して、若い人に期待したいことは。

過去のことを知ってほしい。どれだけの苦労や多くの人の協力があって現在に至っているかを知ってほしい。自分たちは社会の中の一員であること、相手に迷惑を掛けないことを肝に銘じたい。

また、犬を持った以上は100%責任を持つといった姿勢が肝要。家の中で家族として育て、しっかりと躾ける。言ったことは必ず守らせる。仕事から放れ自由になった盲導犬を決しておもちゃにしない。

盲導犬の素晴らしいところは

いつでも自由に外へ出掛けることができる。人間に依頼するときのように気兼ねをする必要がない。そして、自由に速く快適に歩け、世界が広がる。また、犬は自分の仲間である。盲人の歩行にとって大変プラスになる。誰もが持てるものではなく、条件にかなう人が持つべきであると強く思う。

現在はガイドヘルパー等の制度も充実してきたが、やはり盲導犬には及ばない。犬は人よりも自由感がある。だからこそ、質の高い盲導犬と暮らせるようになることが一歩先の未来に対する夢である。

 先生の温かく誠実な人柄や品格のある物腰に触れ、2時間があっという間に過ぎた。「盲導犬の訓練と教育には相通じるものがありますね」という私達の問いかけに対し「然り」と答えられた先生のお言葉に、現代教育が内包する自己矛盾と、それへの反省、及び過度の寛容と過度の厳しさに対する警鐘を強く感じた。

 また、点字は人柄を表す。点字の修得も盲導犬の飼育も同じであるという言葉にも説得力があった。点字は中村京太郎氏に習われたそうである。先生と浜松との縁に想いを馳せつつ帰路に着いた。

本文ここまでです。

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英語:Japan Society on the History of Blind Education

エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)

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