日本盲教育史研究会

掲載:2025年11月24日

最終更新:2025年11月24日

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「第14回総会・研究大会」開催のご報告

日本盲教育史研究会事務局(文責: 香取 俊光)

1.はじめに

 筆者は運営委員に加わり、第14回総会・研究会の事務・運営にかかわった。参加の呼びかけ、当日の運営など何とか終えることができた(参加者は64名)。皆様に感謝申し上げるばかりである。

 総会では、議事は提案通りに承認されたので、基調講演と個々の研究発表、研究協議について報告する。

 さて、第14回の研究会は、令和7年10月18日(土曜日)、京都ライトハウスを会場に行なわれた。昨年の本会の研究テーマ、「視覚障害教育の課題にどう向き合うか」を継続検討することとなっていた。今年はルイ・ブライユが6点点字を考案してから200年、我が国で点字投票が公認されてから100年の記念すべき年に当たった。そこで、視覚障害者の文字の渇望とそこに与えられた「点字」をテーマに掲げた。タイムリーなテーマであったこともあり、会員以外の新しい方も含めて実に64名も参加があり充実した賑やかな会となった。点字使用者や点字に関わる方々も多く参加された。

2.プログラム

基調講演・質疑

講演題「点字指導の実践記録から学ぶこと」

講師 広島大学 元教授 牟田口 辰己(むたぐち たつみ) 氏

研究発表

(1) 箏曲の点字楽譜からみる視覚障害児の音楽教育における展望
  お茶の水女子大学 村山 佳寿子(むらやま かずこ)氏

(2) 「歌」を切り口にした視覚障害教育・盲学校の変遷に関する研究
  金沢星稜大学 松井 繁(まつい しげる)氏

(3) 京都府立盲学校長及び高等官であった岸高丈夫の功績について
  東京都立調府北高等学校 岸高 望音(きしたか のの)氏

(4) 点字記録の保存・公開の現状と課題:アーカイブズ学の視点から
  学習院大学大学院 宮本 愛(みやもと まな)氏

(5) 点字をめぐる2題―点字投票実現運動・点字資料―
  元 京都府立盲学校 岸 博実(きし ひろみ)氏

研究協議
講師・発表者・参加者で活発な意見交換や質疑応答が行われた。

3.基調講演の概要と質疑応答

 牟田口氏は、全日盲研機関誌、月刊誌『視覚障害』、個人の著書・論文から「点字指導」をキーワードに抽出し、その議論内容を整理することを通して、点字指導法をどう継承するかについて提唱された。

 牟田口氏のまとめでは、先天盲・重複障害・中途失明の児童生徒に対する点字指導法の議論は昔も今も変わらぬテーマであり、今後も継続する課題であるとし、その解決策は、先達の教えにあるとして事例を上げられた。

 印象に残ったのは、鈴木栄助(『眼を指に代えて』1986)の「点字を読むには、左食指を主軸に四指(母指を除く)を添え、右の四指の後を追う形で左から右へと読み進めていきます。左右食指とも同じように読める必要があるのです。」という点字使用者の模範的な触読と、福井章二郎(『視覚障害』400号,2021)に「点字触読上達法としては、興味ある本を多読する、通常の指の動かし方より速く指を動かして判読する、苦手の指だけで読む」とある点であった。恥ずかしながら筆者は、左指だけで読むのでやはり速度は遅く実用性がない。点字でどうしても読まなくても音声データで賄ったために上達しなかったのかとも反省した。

 また、渡辺勇喜三(「点字!これ僕のもの」日本の点字29号2007)の中に「気温が13度C以下では触覚が鈍くなると言われている」とある。筆者は、昭和2年、群馬県立盲唖学校創立に際し、卒業生に治療してもらっていた県知事が、冬の点字読書の困難の話を聞いて県内初のスチーム暖房を入れてくれたという逸話を聞いた。

 更に、牟田口氏は、点字指導を必要とする対象児が減少し、その指導経験を有する教師も少なくなっている現在、数少ない指導事例を蓄積・共有し、実践に生かす工夫が必要とされた。そして、電子データにした情報を毎朝全国の仲間へ発信している(50の盲学校220名)。また、このネットワークを利用して昨年12月に点字指導を共有するグループを立ち上げ指導事例を蓄積・共有する活動を始めているという。氏の実践に敬意を表する。

4.研究発表の概要と質疑応答

【発表1】

 箏曲の点字楽譜の歴史を通して、先人達の苦悩や取り組みを紹介すると共に、教育実践や楽譜点訳の現状にもふれ、次世代を担う視覚障害児の音楽教育を展望するものであった。

 日本における点字楽譜の使用の最初は明治26年という。

 明治20年代における東京盲唖学校の箏曲点字楽譜の使用動向については、点字楽譜と思われていたが、実は確認すると点字の歌詞集であった。それでも当時の生徒には記憶の助けとなったという。

 また、明治の筝曲の師匠にとっては楽譜がないので口伝で教授し演奏などで生計を立てられていた。楽譜の出現により記憶の助けとなり、時間をかけずに簡単な楽曲が演奏ができるようになった。それは晴眼者の筝曲家を増大し、盲人筝曲家を窮地に至らせたとした。

 これに対して、筆者が瞽女や鍼灸按摩と考え合わせると他の因子もあるのではないかと質問した。村山氏は、瞽女のようにレコードの出現よりも前に視覚障害者の演奏者の減少が見られると答えられた。

 村山氏は、筝曲の師匠としても生活し、テレビや歴史小説に出てくる「チン・トン・シャン」などの教授法の意味を解説され、6点で表す筝曲楽譜の解説も有意義であった。

 2つ目の課題である筑波大附属視覚支援学校小学部の教育実践では、対象の児童によっては、楽譜を上手に活用できる児童、他に音を頼りに楽譜は補助的な児童と存在した。無理に楽譜を勧めるのではなく、必要性に応じて楽譜を提示することを生徒から学んだという。

 また、盲学校から邦楽(箏曲)の専攻科が消えていく一方、グローバル化の進展に伴って、小・中学校において和楽器の実習が義務付けられており、なかでも箏は、誰もが一度は授業で触れたことのある、馴染みのある楽器へと変容している。視覚に障害のある児童生徒が等しく音楽を楽しむためには、コンクール形式の行事に参加するのではなく早期からの教育を通して、健常者と共に発表できるような経験が必要であるとした。

 全国高等学校総合文化祭へ特別支援学校の生徒が協賛から一般参加できる方向に変化しつつあることは望ましいとしていた。

【発表2】

 松井氏が都合で参加できなくなったため、本会事務局員が9曲のCDをかけ、それに関する補足説明をして発表に代えた。

 「官立東京盲唖学校校歌」(1889年)から「山口県立下関南総合支援学校校歌」(2008年)までの校歌や盲教育に関連する歌を聴いた。

 歌は短い詩形であるが、その中に盲教育の変遷を見ることができる貴重な資料である。

 戦前に作られた3曲には、教育を受けられるようになった喜び、石川倉次、杉山和一等、先人への感謝と敬意が歌われていると感じた。

 戦後に作られた歌にも、新しい時代の中、自らの足で歩んだ跡が歌い込まれている。最近では、盲学校と他校種との統合や特別支援学校化が進んでいるが、下関南総合支援学校の校歌に、旧山口県立山口盲学校の校歌が引き継がれているのは貴重な事実であると考えられる。

 筆者は、特に杉山和一の研究を課題としているので、「杉山検校を讃える歌」の存在を知って驚いた。また、ヘレン・ケラーの来日により「幸福の青い鳥 ヘレン・ケラーの歌」があると知り、色々と検索したが発見できずにいたので、松井氏の発表に大いに研究心を沸き立たせられた。

【発表3】

 曾祖父(岸高丈夫)の功績や生き様を明らかにすることを目的に本研究を行なった。父と共に保存・収集した文献や探索した資料に当たり岸高の業績を現在の盲学校の先生方にも伝えたいと思われて発表に至ったという。

 岸高の功績の原動力には高等官に任命されたことが大きいとした。

 京都盲学校校長当時、積極的に教育改革を行ったという発表の内容をまとめてみる。

 ア.面接を重視したり、学力考査の批判的意見(教諭の主観的採点による不公平など)。

 イ.スポーツの導入…健常者となるべく同等のカリキュラムで精神や体力を発達させる。サッカーや柔道の導入。1980年にはフランスで視覚障害者が柔道を取り入れていた。

 ウ.鍼灸マッサージの資格…盲学校を卒業した生徒には全員資格を付与した。

 エ.視覚障害者の盲学校全入…家庭での困窮・衛生を考え、盲学校での育成による心理的・体力的成長を目指す。

 発明品としては、岸高式点字タイプライターや岸高式そろばん(こはぜそろばん)がある。

 『内外盲人教育』や『帝国盲教育』の創刊に尽力し、留学して得た欧米の盲学校教育、視覚障害者への政策などを紹介した。

 会場からの質疑で、岸高の先見性として当時の一般的なそろばんを5珠から4珠に改良したこと、柔道が視覚障害者に適切なスポーツであることの意見が出された。また、それはどんな書籍から生み出されたのかと質問が出された。発表者の父岸高浩平氏が、丈夫は思い付きの人で、これはいいと思うと積極的に取り入れた人である。岸高が盲教育に携わる2年前に岸高式そろばんの特許を得ていたと発言された。

 岸高丈夫の写真が提示され、その人柄と共にブルドックというあだ名があったことや、留学していても英語が苦手であったことなどの紹介が、筆者には印象に残っており、書籍では知りえない逸話で、岸高に親近感を持った。

【発表4】

 アーカイブズ学とは、適切な資料整理・保存方法等を検討し、記録へのアクセスのし易さを追求する学問であるという。近年マイノリティーや地域の人々が残した記録が着目されているが、点字記録に着目した先行研究は、殆どない状態であるようだ。

 アメリカの事例を中心に調査されていて、国立レベルで保管する他、視覚障害関連機関では、資料保存施設を設置し、専門職を配置している例も多く、デジタル化による公開も進んでいるという。

 今後、点字記録の適切な保存・公開、活用に向けて、目録の整備、デジタル化を含めた点字記録の保存対策、文書管理の専門職配置等々が必要であると指摘されていた。

 会場からは、ボーンデジタルとはどんな保存方法かという質問が出された。宮本氏からは、点字では保存できない、現在では各種の点字データがあり、ソフトの違いや廃止により取り出せないので、点字を電子データで最初から保存していくことと答えられた。

【発表5】

 点字投票実現運動と点字資料の保存・修復の2つの内容を発表された。

 点字投票実現運動については、特定の地域や個人の業績として描くのではなく、世界の選挙制度や普通選挙法の解釈という視点から捉えなければならない。点字投票運動のデータ収集の途に入ったが、その整理や分析には時間がかかるので、協力者を求めるとともにデータの提供もしたいとのことであった。日本の1925年の点字投票用紙を模作して、参加者一人一人に配布されていた。

 点字資料の保存・修復については、京都盲学校の重要文化財修復や岸氏所蔵の岡本勇三『盲児用昆虫図鑑』の修復の事例を報告された。刻々と進む劣化や廃棄の中で、全国的な盲教育関係資料の保存・活用の方向性を見出すことが急務であると警鐘を鳴らしていた。

 会場からは、『昆虫図鑑』と京都盲の点字資料の年代について質問が出された。岸氏からは、『盲児用昆虫図鑑』は1965年、京都府立盲学校の文化財で修復の対象にしたのは明治のものであるとの答えがあった。

 筆者は、『激動の80年――視覚障害者の歩んだ道程』(点字毎日、2002年)5巻、昭和37(1962)年9月の記事に、次の記事を見つけた。

<岡本【勇三】氏 昆虫図鑑完成

 京都市中京区の友禅染型彫りの岡本勇三(56)氏は、京盲の協力を得て盲学校用学習昆虫図鑑を、この程完成。全国の盲学校に寄贈。氏は、染色技術を活かし、盲人に形の世界を与えようという狙い。>

 会場から左近允孝之進の位置づけについて質問があった。岸氏からは、左近允は点字投票運動に先立つ時期の点字普及に貢献した。点字投票を巡る運動は、人権獲得の広範な運動によって支えられたという視点で捉えたいとの答えがあった。

 点字は、盲児の発達を支えたという点、及び人権を支えたという点の両側面から評価することもできるのではないか。ただ、現在も投票において「点字を文字とみなす」という規定は変わっていないのが残念である。とも付け加えられていた。公の書類には点字の署名が認められていないので、今後も点字の権利闘争は必要であろう。

5.研究協議

 協議に際して、(1) 文字の渇望、(2) 視覚障害者の権利保障と点字、(3) 点字と教育、(4) 資料の保存と継承、という四つの柱を立てて進行した。

(1) 文字の渇望というテーマに沿って特別に藤野高明氏にスピーチを依頼した。藤野氏は、学齢前に河原で遊んでいるうちに、第2次世界大戦後の未処理の不発弾に触れて失明と両手に障害を受け、唇で点字を読まれていることが知られている方である。以下、要約を紹介する。

私は7歳から20歳まで、どの学校からも入学を断られていた。父や友人から本を読んでもらい、アメリカのトーキングブックで読書を出来ると聞いて《勉強をしたいという乾いた気持ち》であった。ハンセン病の方が唇で点字を読んでいると聞いて唇で点字を読むことに挑戦した。

点字に出会って、社会科の先生を務めることも出来たし、苦労して通信で日本大学も終了出来た。

生徒に役立ったと思うことは「かなり重い障害があっても文字が読めて、学校の先生をやれるということが、生徒に夢を持たせロマンを感じさせられた」ということである。

 まとめとして、文字離れと点字離れは似て非なるものであり、点字離れをして損をするのは視覚障害者当事者である。

 事務局員から、文字の獲得は、時間と空間の共有に繋がるというコメントがあった。

 『激動の80年――視覚障害者の歩んだ道程』6巻、昭和46(1971)年8月の記事に、藤野高明氏についての記事が残されている。

<藤野【高明】氏 教員採用試験パス

大阪市東成区の藤野高明(32)氏は、一日、大阪府市教委が行った「教員採用試験」に合格。同氏は、全盲の上、両手首を失った二重障害者。大阪での点字受験は初めて。>

(2) 視覚障害者の権利保障と点字

 会場より、点字投票草創期の中途失明者の点字の習得状況について質問が出された。岸氏から、いざ点字投票が認められたら、そんな投票数だったかと嘲笑されないように模擬点字投票の練習会を通して、点字学習が爆発的に進歩したとの答えがあった。筆者は、点毎にはその前に各地で点字講習会が開かれ、点字の普及の準備段階があったと発言した。群馬県立盲唖学校の県営移管運動には、同窓会が点字のビラを県下に配り、新聞記事になったことから県営運動が推進された逸話がある。大正・昭和の初めは、現在よりも点字の普及や認識が低かったことである。

 続けて会場から、広瀬浩二郎氏が、点字200周年の年に当たるのに世界的に盛り上がっていない。点字の文字の役割は達成されたのではないかと言われている。岸氏の発表は、点字は基本的人権の保障における役割と主張されたが、広瀬氏の意見を含めて、点字の役割について聞きたいと意見が出された。

 岸氏は、視覚障害者が文字なかんずく点字を獲得してきた歴史から言えば、視覚障害児の教育の支えであったと考えられる。点字がなければノートは取れない、ノートがなければ復習しづらい、点字が自由に書けないと自己表現ができない、人とつながることもできない。子供たちにとって経験し、認識し、人として成長発達していく上での決定的な役割が点字であったと捉えている。その上で点字利用者の増加を背景に社会的な発信として要求書や文集、点字の新聞や雑誌を出版し、社会参加をなす中で視覚障害者の共同が進んだのが明治30年ころと推察している。それを土台にして点字投票の実現につながった。国民全体の参政権実現の潮流に点字使用者のニーズがかみ合ったのではないか。その結果として人権の保障、人間としての尊厳が点字によって裏付けられたと考えて居る。発達を支えたという点、及び人権を支えたという点の両側面から評価することもできるのではないかと答えられた。

(3) 点字と教育

 質疑がなくて、進行した。

(4) 資料の保存と継承

 会場から宮本氏に、イギリスの先行事例を聞きたいと言う質問があった。宮本氏からは、今回はアメリカの事例の調査が主で他の国については今後の課題との答えであった。

 筆者から、宮本氏に、日本点字図書館や県立の点字図書館が所蔵個所として指摘されていなかったのはなぜかと質問した。宮本氏からは「墨字本の複製としての点字本はアーカイブ学からは外されていて、自筆点字のみの記録が対象」との答えで納得できた。会場からの補足では、日本点字図書館の奥村文庫はアーカイブの対象であると思われるが、ネットワークではつながっていない。一部の施設では資料室で保存しているが、目録・整理は不十分であるとあった。

 宮城道雄について、旧大阪市立盲学校にその点字楽譜の所蔵がある理由が質問された。村山氏から、筝曲の山田流・生田流の2派があり宮城は生田流で楽譜をつくっていたとのこと。

 会場からの意見を幾つか紹介する。

 全国の盲学校で発行している研究紀要などは国会図書館に納本が義務なのに、ほとんど寄贈されていない。資料の保存・調査研究という観点から極めて残念なので、改善されることが望ましい。牟田口氏がこたえられて、不十分であることは認識している。現在は紀要も作成されていないのも現実であると言う。

 そろばんについて、岸高式そろばん→武田式そろばん→TH式(堀江)そろばんと発展してきて、現在、盲人用そろばんが製造中止となったとネット上で取りざたされているが、製造が中止となったのではなく部品が製造されないためにそろばんが製造できないという現状であると紹介された。

 校歌についての意見が出され、校歌は校内での斉唱ではなく儀式に必要であることから発展してきたと考えている。東京盲唖学校の校歌にうれしき御世や≠ニあり、同校の創立記念日が天皇からの下賜金の日であるので、松井氏の見解を聞いてみたかったとあった。

 山梨県立盲学校校歌の作曲者志賀静男は、筑波大学附属聴覚特別支援学校、都立葛飾盲学校、横浜市立港南台ひの特別支援学校など多くの学校の校歌に関わっているとの発言があった。研究会語間もなく、志賀静男・校歌のキーワードでGoogleで検索すると、都立八王子盲学校、新潟県立新潟盲学校(2022年閉校)も該当していた。

 筆者は岸高姓を「きしだか」と読むものと思い込んでいたが、発表者に確認したところ「きしたか」であった。岸高丈夫は福岡の出身である。日本の東西で同じ漢字でも濁音があるかないか、地域性であろうかと思っていたが、あやふやになってきたように感じる。文化の東西交流によるものであろうか。岸氏の発表の中に出てくる伊沢修二も「いさわ」である。

6.おわりに

 運営当事者として参加者の人数や当日の運営に心配していた。途中、雨が降りだしたが、場内は意見や議論で盛り上がり、情報交換もなされた。そして、休憩時間や終了後の新たな同好の研究者との出会いもあった。報告書を書きながら、今回の成果を味わっている。

 第15回総会・研究会は、東京、令和8年10月を目安に計画している。多くの参加者があることを祈念して報告とする。

本文ここまでです。

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英語:Japan Society on the History of Blind Education

エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)

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