掲載:2024年12月26日
最終更新:2024年12月26日
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2024年10月26日(土曜日)に、日本盲教育史研究会の第13回総会・研究会を日本点字図書館(東京)において、対面形式で開催しました。参加者は42名、それにボランティアの方が加わって下さいました。
運営委員会から提案された活動のまとめと方針、決算と予算関係のすべての議案が異議なく承認されました。今回は役員改選の年にあたり、立候補はなく、3名の退任があり同数が新たに加わりました。
『視覚障害教育の課題にどう向き合うか』
盲学校(視覚特別支援学校)は現在、少人数化・多様化し、専門性を高める指導法の研究が困難となり、人事異動も重なって教員の経験不足や専門性の低下が懸念されます。そこで本シンポジウムでは、盲教育史研究団体でありながら正面から課題に向き合うことにしました。どのようにして今に至ったのかを抜きに、今を語れないと考えるからです。社会の変化を踏まえて盲学校の歴史的特徴(強み)を整理するとともに、実践例を通して視覚障害教育の専門性やインクルーシブ教育へのアプローチの方向性を考えました。
社会福祉法人日本盲人福祉委員会常務理事・元 WBUAP(世界盲人連合アジア太平洋地域協議会)会長 指田 忠司(さしだ ちゅうじ)
2006年、国連総会で障害者権利条約が採択されました。この条約によって障害者の権利が保障され、障害の有無にかかわらず人々が尊重される社会の実現に向けて歩み出したわけです。指田氏は、この重要な条約の準備段階から日本で批准されるまでの14年間関わってこられました。
遡ること採択の6年前、「2001年に国連で条約制定のための検討委員会が設置され、私は2003年6月ニューヨークでの第2回の特別委員会の前半の審議を傍聴するとともに、国際的な障害者傍聴団の方々と会議の前後でロビーイングに加わった。そこでは、障害者の雇用アファーマティブアクションの是非の他、各種教育問題に関する議論が盛んになされた」ということでした。また、日本が2007年に条約に署名してから、批准書を国連に寄宅するまでの7年間のことについては、「制度改革のための事務局に障害者自らが加わり、私の知り合いたちも参加した」「2010年の閣議決定で、インクルーシブ教育に対応するため、“盲学校の教育”の文言が削除された。しかし、後に文部科学省は『盲学校を廃止する趣旨ではない』と説明した」等様々な出来事があったことを報告されました。
この間には、いくつもの法的整理が急ピッチで進められているので、参考として以下に示します。
2007年 9月 日本が条約に署名
2009年12月 障害者制度改革推進本部を設立
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2011年 8月 障害者基本法の改正
2012年 6月 障害者総合支援法の成立
2013年 6月 障害者差別解消法の成立、障害者雇用促進法の改正
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2013年11月 衆議院本会議にて締結承認 12月 参議院本会議にて締結承認
2014年 1月 条約を批准 2月 条約発効
WBUAP会長などを歴任した指田氏は、これらの動向を関係者各位に伝達するという重要な役割を果たしてこられました。そうした経験を踏まえ、この度、以下のような今後考えるべきこと及び方向性を示してくださいました。
権利条約の審議の段階では、わが国とは異なる発展途上国の状況を反映して、教育を受ける権利の平等を強く主張しており、特に視覚障害者のためには学校の設置や点字教育、歩行訓練の必要性等が強く叫ばれていた。先進国の資本を途上国側へ移すことに条約の意味があり、両方の立場を保障するものであった。
わが国では、“準ずる教育”の強調と共に視覚障害者のための教育保障が整いつつあったが、問題となるのは教育の質、つまりインクルーシブ教育が進む中で視覚障害者の発達段階に応じた指導が適切に行われているかである。その意味で、視覚障害者に特化した盲学校ないしは視覚特別支援学校が注目されると思う。
現代に求められる「ICTをはじめとするテクノロジーを活用した科学的・数学的な思考」と「デジタル化された教材活用」は不可欠である。合わせて、視覚障害者に特化した教育方法の開発も進める必要があると考える。
今後の方向性として、視覚障害者用の機器の開発と普及、幼児期からの機会充実(触察技能の向上やスポーツ参加、交流活動等)、日本語表現(漢字を含む)の多面的な理解、外国語への関心、といった点が重要である。
筑波大学附属視覚特別支援学校校長 青木 隆一(あおき りゅういち)
項目 | 平成25年 | 令和5年 |
---|---|---|
全国義務教育学校の在籍者数 | 1,030万人 | 941万人 |
全国特別支援学校の在籍者数(小・中) | 6万7,000人 | 8万5,000人 |
盲学校の在籍者数 | 3,354人 | 2,129人 |
〃 (理療科のみ) | 1,218人 | 521人 |
弱視特別支援学級(小・中) | 442人 | 592人 |
弱視通級教室(小・中) | 156人 | 239人 |
このような現状から見えてくる課題として、子ども同士の学び合い及び校内OJTの機会の減少、専門性の維持・向上・継承、多様化する子どもへの対応、理療科教育の存続問題が挙げられる。
視覚障害教育を守るには、中核である盲学校が組織として残っていかなければならない。そのための方策を皆で考えていきたい。
筑波技術大学保健科学部保健学科助教 松田 えりか(まつだ えりか)
特別支援学校は、同じ障害のある当事者同士が世代を超えて繋がる場であり、ここで醸成されるソーシャル・キャピタル(以下SC)、いわゆる「社会関連資本」(人と人との繋がり、絆のこと)は独自性の高い資源である。視覚特別支援学校の役割の一つとして、中途視覚障害者の社会復帰の支援が挙げられる。そこで、学校のSCが中途視覚障害者の Posttraumatic growth (以下PTG)、いわゆる「心的な回復や成長」に与える影響に着目し、実施した一連の研究成果を報告する。
2021年12月、36校255人の理療科に在籍する中途視覚障害者に対して質問紙調査を実施した。調査内容は、視覚特別支援学校の親しい仲間、教員、生徒との信頼感や互酬的関係性、親近感、ネットワークの認知についてである。結果として、中途視覚障害者は学校生活を通してSCを獲得し、ここで得られた他者とのつながりが、受障した困難事象からのPTGに貢献していることが示された。
2022年7月、6校21名の理療科に在籍する2、3年生の中途視覚障害者に対してインタビュー調査を実施した。調査内容は学校入学により「変化したこと」と「その変化を促したもの」についてである。結果は、学校を通して出会った人たちとのつながりだけでなく、家族や昔の友人とのつながりも修復・強化されていた。その他に、学校における専門性の高い授業や工夫された教材、個別・少人数制の理療科教育、部活、交流活動といった要素が直接に関係していた。また学校の存在をどう感じるかを尋ねたところ、「心の居場所」「変化の場」「道しるべ」などといった回答があり、当事者を他には代えがたい包容力で支えていたことが伺えた。
視覚特別支援学校は、低頻度障害である当事者同士を出会わせ、助け合う場として機能した。また視覚障害に特化した専門性を有し、当事者を受け止め、自信を与える場でもあった。このような研究結果は、中途視覚障害者が心理的な変化を遂げ社会復帰を果たす上で、大きな貢献をしていたことを示唆している。
静岡県立浜松視覚特別支援学校非常勤講師 足立 洋一郎(あだち よういちろう)
本年7月に上梓した『近代日本盲教育史』(不二出版)の概要と、現代の教育についてお話ししたい。
戦前に設立された盲学校96校のうち、47校が視覚障害当事者によって作られたものだった。これは大きな特質である。彼らが設立できた理由として、(1) 「無用有用化」論を確信し、主体的に取り組んだ (2) 民間の慈善事業家が支えた (3) 所管の官公庁が積極的に関与しなかった、の3点が考えられる。
小規模私立校を経営する者にとって、“盲唖教育令”を制定することが一つの到達点だった。1906(明治39)年に数名の盲学校長により交渉が行われ、その後、帝国盲教育会を基盤に実働部隊として期成会、促進会を置き、当事者と支援者が一体となって運動を起こし貴族院、衆議院に陳情した。さらに、各省の官僚をきめ細かく計画的に訪問・陳情し、制定運動を繰り広げた結果、ついに一定の帰結を見たのだった。
現在、児童・生徒数の激減により盲学校の存続が危ぶまれている。今すべきことは、未来像を描き、関係諸機関と積極的に関わって、先人のように私たち当事者自らが積極的に行動を起こすことだと考える。
福島県立視覚支援学校教諭 渡邊 寛子(わたなべ ひろこ)
生まれつきの弱視であったが、完全に失明したため、2005年に県立高校から盲学校へ転勤した。盲学校では国語科の教員として、点字の読み書き能力を伸ばす、漢字力・語彙力の向上を図る、触察による読解力・想像力を伸ばす、書く力や伝える力を育成する等を行ってきた。このような実践から、盲学校では個別指導の強みを生かして確実な能力を身につけるとともに、児童・生徒が通いたくなるようなアピールと専門性の向上が必要と考える。
全国高等学校長協会入試点訳事業部・元愛知県立特別支援学校教諭 坂井 仁美(さかい ひとみ)
半世紀以上前には、盲学校の生徒が按摩・マッサージのアルバイトをすることもあった。四半世紀前の盲学校は、多く在籍する児童・生徒や先輩教員から学べる環境があった。最近の盲学校は、その頃と比べるとすっかり変わってしまった。しかし、盲学校として残していきたい大切なものがある。視覚障害教育の専門性とは、点字や歩行の指導の他、視覚情報を使わずに概念形成を図ることである。この点は、インクルーシブ教育でも大切にすべきである。
これらの報告や発表を受けて、次のような討議がなされました。
「第三の危機」にあるといわれる今、私たちはこの現実にどう向き合ったら良いのでしょうか。在籍する児童・生徒数の減少が盲学校の存続を危うくしていますが、その大きな要因は、視覚障害児の教育機会の拡大、つまり障害者権利条約の締結により、障害のある子どもが希望する学校を選択できるようになってきたという社会の進展にあるようです。
私たちが願うのは、視覚障害児が仲間と共に生活し、主体的に学ぶ姿です。通常学級に在籍しても、点字や歩行はもちろんのこと、毎時間の教科の学習、例えば算数の図形、理科の月の満ち欠け、社会科の地図等においても、視覚に頼らない学習方法で一緒に学んでいけるような体制です。それが全国で実現するよう、当事者(関係者も含めて)が中心となって、今後ますます組織の整備や法改正に力を注いでいきたいものです。
本研究会は、学び多き機会になりました。さて、次回第14回研究会は京都を会場として令和7年10月を目途に行う予定です。案内を本サイトの活動紹介ページに掲載する予定ですので、是非多くの方にご参加いただけることを期待しております。
本文ここまでです。
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英語:Japan Society on the History of Blind Education
エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)
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