日本盲教育史研究会

掲載:2023年07月13日

最終更新:2023年07月13日

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「第9回ミニ研修会 in 足利」開催のご報告

日本盲教育史研究会事務局(文責: 小澤 純子)

1 現地開催が4年ぶりに叶いました!

 我が国で現存する最古の木造盲学校校舎とされる旧足利盲学校校舎が、地元の方々の保存運動によって当時の姿を留め、注目を集めています。その運動の過程で、創設者・澤田正好氏を顕彰する石碑も建立され彼の功績にも関心が高まります。それらを直接見て感じとる今回の企画に寄せる期待は大きく、49名の参加者がありました。そして全体を通してその思いに応える実のある研修会になりました。

会場

足利市生涯学習センター

日程

2023年5月27日(土曜日)

10時00分から15時15分

内容
9時30分  受付

足利市生涯学習センター

10時00分  講話1

「足利盲学校校舎保存の意味と運動の歩み」 齋藤 憲司 氏(足利の近代化遺産を考える会)

10時30分  フィールドワーク

「立体地図」「立体模型」製作提供の主旨説明  元木 章博 氏(鶴見大学)

澤田鍼治療所跡 → 私立足利盲学校跡 → 法玄寺(澤田正好先生顕彰碑) → 足利ふれあい遊学館(昼食) → 旧足利盲学校校舎 → 視覚障害者福祉センター(澤田正好先生胸像)

13時40分  講話2

「澤田正好と盲教育」 齋藤 憲司 氏(足利の近代化遺産を考える会)

14時25分  講話3

「群馬盲の資料室と両毛の盲教育の展開」 香取 俊光 氏(元群馬県立盲学校教諭)

15時15分  終了

閉会にあたっては運営委員が挨拶をした。

2 旧足利盲学校見学と両毛の盲教育の展開

 講話1では、齋藤氏からフィールドワーク前の予備知識となるお話をいただきました。旧足利盲学校は、1931(昭和6)年に新築移転し、1939(昭和14)年に宇都宮盲唖学校の盲部との合併を経て、1949(昭和24)年に宇都宮市に移転するまでの18年間活用されました。私有地となった現在では取り壊される可能性も大きく、「足利の近代化遺産を考える会」によってその重要性を伝えています。近代化遺産の保護、盲学校の歴史継承のためにその意義は深いものです。

 フィールドワークにあたり、以下の研究プロジェクトから3D模型(私立足利盲学校旧校舎)8台と、触地図(足利駅からセンター、旧校舎を含む)50枚を寄贈していただき、その主旨説明がありました。いただいた模型や地図は、事前のイメージ化や見学後の再確認に活用し大変喜ばれました。これは、令和5年度鶴見大学特定研究助成【視覚障害者のパーソナルニーズに基づく3Dデータ制作と立体模型提供の試行】(研究代表者:元木章博氏)および、2021年度JST−ISTEX(JPMJRX21I5)採択課題【「誰もが知りたいもの、必要なものを自由に手に入れ、触れられる社会」の創成に向けた3Dモデル提供体制の開発と実装】(研究代表者:南谷和範氏)によるものです。

 フィールドワークは昼食を挟んで前、後半に渡って行われました。

 前半ではメイン会場から西に向かい澤田治療院跡と私立足利盲学校跡(現在はどちらも駐車場)を通り、遠方の法玄寺ほうげんじに行きました。閑静な寺院の墓地に、昨年建てられたばかりの真新しい澤田氏の顕彰碑があり、二点の写真(澤田氏が叙勲受賞時のものとヘレン・ケラー女史と共に撮影したもの)を添えて、郷土の傑人としての功績が点字・活字の両方で記されていました。

 昼食会場を後にすると生涯学習センター近くの旧足利盲学校をめざします。旧校舎は、民家に囲まれた中にある東西25m南北10m程のコンパクトなサイズながら、凛とした近代的なたたずまいでした。壁板のひび割れや剥がれが目立つものの、玄関の上の拡声器や格子の窓、二階中央の切妻屋根が当時の学校の雰囲気を醸し出しています。中に入ることができなくて残念に思いながら東側に回ると、窓には内側から書いた『栃盲』の文字が透けて見えるのが印象的でした。校舎東隣りにある視覚障害者福祉センターに入ると、温厚な表情をされた澤田氏の胸像と対面です。1965(昭和40)年に71歳で亡くなられた先生の一周忌を記念して造られたそうです。

 以上暫しの異空間見学を終えて、生涯学習センターに戻りました。

 講話2では、再び齋藤氏から澤田先生の功績について具体的なお話をいただきました。澤田氏は、1922(大正11)年に「足利盲人革新団」を組織し、全国盲人大会の開催時に盲教育の義務化と点字投票を直訴。その時文部大臣や内務大臣に建議するとの進展を得ます。そして翌年に盲学校令発布、さらにその翌年の施行となります。また点字投票は1926(大正15)年衆議院選挙法施行で実施されます。戦後の1946(昭和21)年に当校で開催した全国盲教育大会の折には、盲と聾の分離、義務教育制の決議を国へ要望し、その2年後には義務教育が達成されています。このように澤田氏は法制度の変革に大きな功績を果たしました。一方、生徒の健全な成長を願い、盲人卓球(サウンドテーブルテニス=STT)を開発したことでも有名です。

 尚、手記『愛情の庭−若き盲女の日記−』を表した新井たか子氏はこの地で生まれ育ち、澤田氏に教えを受けています。

 講話3では、香取氏から「群馬盲の資料室と両毛の盲教育の展開」と題してお話をいただきました。

 2015年の創立110周年に向けて、香取氏を中心に図書館司書の協力を得て資料室を再整備しました。資料目録の作成にあたる一方、資料室のしおりや啓発パンフレット『ぐんもうの歩み』を作成する等精力的に進めています。自校の創立70周年時にまとめられた1000項を超える『群馬県盲教育史』の実績は大きく、創立当時の資料や職員会議議事録等は貴重なものです。また、栗原光沢吉つやきち氏による著書の数々も過去の遺産となっています。

 群馬と栃木の両県はかつて「毛野国けぬのくに」と呼ばれ、群馬が上野こうづけ、栃木が下野しもつけ、そして今でも「両毛」の名が残るほどの関係性をもちながら歴史を創ってきました。群馬県に入り込んでいる足利市に、群馬県から盲生が通っていたというのもその一例で、北関東の盲教育の足跡が、合併や分離を繰り返しながら多く残されてきました。

3 研修会を終えて

 先人の熱い思いに触れた研修会でした。澤田氏の国への陳情はもちろんのことですが、その他にも二度に渡る校舎の移転と拡張、卒業生のための治療院の開設、サウンドテーブルテニスの発明等は、地域に根ざし盲生と向き合って生活してきたからこそ生まれた活動です。もしも、その姿が旧足利盲学校校舎で再現されたならばどんなに素晴らしいだろうと想像しながら、反面その保存の難しさを痛感します。群馬県の盲教育史を含めて、今回の研修で知り得た多くの史実をもとに、今後さらに深い学びにしていきたいものです。

 最後に、今回の研修においてご協力いただきました地域の方々に心からお礼申し上げます。

本文ここまでです。

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英語:Japan Society on the History of Blind Education

エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)

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