掲載:2022年09月12日
最終更新:2023年02月07日
案内終わり♪
第8回ミニ研修会を下記の通り福岡で開催しました。コロナによる2度の延期を経て今度こそ現地開催の期待はありましたが、なお不安定な状況の中で福岡まで来ていただくことの困難を考え、しかし3度目の延期は避けたかったので、動画配信という形で実施することにしました。
福岡県福岡市中央区今泉1−18−25 季離宮(中季離宮2階)
2022年6月20日(月曜日)
10時00分から12時00分まで
九州北部の盲僧と筑前琵琶
講話1 「福岡市立博物館所蔵資料から見た盲僧」
講師:宮野弘樹さん(福岡市博物館市史編さん室)
講話2 「筑前琵琶にかける思い」
講師:ドリアーノ・スリスさん(福岡市在住 琵琶職人)
座談会 講師とともに盲教育と琵琶を考える。
宮野弘樹さん,ドリアーノ・スリスさん
盲史研事務局 吉松政春,岸博実,中村真規,渡辺譲
特別参加 尾方蝶嘉さん(筑前琵琶奏者)
天台宗玄清法流 臨江山 成就院訪問
福岡県福岡市南区高宮1丁目21−7
今回のミニ研修会では、盲教育と音楽の関りの中で、琵琶と盲人の歴史的な関係を踏まえながらこの楽器の現在地を学ぶことを目指しました。盲史研はこれまで瞽女と平家琵琶を研修テーマに取り上げてきました。その中で瞽女組織、当道座など視覚障害者が自らの力で組織を作り、相互に生活を支えた歴史を見て来たのですが、九州には当道座と袂を別った盲僧の歴史がありました。かの地で盲僧はどのような存在だったのか。盲僧琵琶の伝統が仏教信仰として今も生きている福岡で、また盲僧琵琶から生まれたとされる筑前琵琶が芸能として根付いた街で、二人の講師からお話を聞きました。
宮野弘樹さんは、長年にわたり福岡市博物館で盲僧と地域信仰について調査、研究、資料保存に取り組んでおられます。今回の講話では、京都大学所蔵資料から、京都の青蓮院と盲僧との関係を献金の実態を調べて報告され、青蓮院、盲僧の双方がしたたかに利用しあう姿を見ることができました。
盲僧とは盲目の僧。九州と中国地方の一部に存在し、仏説盲僧、仏説座頭、地神盲僧など様々な呼称が使われました。九州地方には荒神竈という煮炊きには使わない聖なる竈が祀られていました。盲僧はこうした場所で地神経、荒神経を読む、お祓いをする、ときには雨乞いもするといった民間の宗教者で、地域の寺社の保護を受けていました。その起源については永井彰子さんが詳しく調べ、朝鮮半島にも類似のことを行っている盲目の宗教者がいて、だから九州地方にこうした形で存在したのではないかという分析をされています。伝承としては奈良時代の終わりから平安時代にかけて、玄清法印という盲目の僧侶が盲僧のルーツとも伝えられています。もともと地域信仰と深くつながっていた盲僧が、当道座の組織化とともに、中央からの圧力を受けるようになります。講話では、盲僧たちが数を力としてついに独自に京都青蓮院との結びつきを獲得するまでの歴史が話されました。
盲僧が元来地域信仰の担い手であったため、盲官廃止後も九州では幾人かの盲僧が近年まで活動を続けていました。熊本の山鹿良之さんもその一人です。福岡では晴眼の住職が盲僧琵琶の伝統を継承しました。また、盲僧の活動が民衆と結びついた芸能として筑前琵琶という新しい展開につながりました。明治になってから誕生した筑前琵琶は、ある時期若い女性のポピュラーなお稽古事だったそうです。しかし戦後は邦楽人口の減少で、筑前琵琶も演奏者、学習者が減っていきます。そんな中で、筑前琵琶と運命的な出会いをしたのがイタリア人のドリアーノ・スリスさんでした。
ドリアーノさんは、1974年に来日したときラジオで聞いた琵琶の音色に惹かれ、当時ただ一人の筑前琵琶職人だった吉塚元三郎さんに弟子入りします。以来福岡で琵琶職人として琵琶の制作、修復、技術の継承に取り組んでこられました。最後の肥後盲僧と言われた山鹿良之さんとの交流についても伺いました。ドリアーノさんのお話からは、日本の伝統的な工芸技術で作られた筑前琵琶への深い敬意と愛情を感じました。
筑前琵琶の楽器としての特別な構造も話していただきました。山鹿さんとの交流では、初めて琵琶の「語り」のすばらしさを知り、彼の生き方そのものに深く感銘を受けたそうです。
もう一人、私たちにとっては思いがけず、筑前琵琶奏者の尾方蝶嘉さんに参加いただきました。福岡を中心に筑前琵琶の演奏、創作、普及を進めている演奏家です。2021年に第57回日本琵琶楽コンクール優勝など輝かしい経歴をお持ちです。筑前琵琶にかける思いをお聞きしました。その場での急なお願いにもかかわらず演奏を披露して下さり、「語り」のすばらしさを体感できました。琵琶奏者の立場から盲教育史に関心を寄せていただいたことに感謝しています。
午後からは成就院を訪問しました。ここは玄清法印を開祖とする、盲僧琵琶玄清法流の本山です。住職の梶谷隆幸さんに、宗教者としての盲僧琵琶についてお話しいただきました。福岡では江戸時代から晴眼の僧侶が盲僧琵琶を継いできましたが、盲僧頭の家に生まれた一丸智定(橘旭翁)らが芸能者に転身したことで筑前琵琶が誕生します。結果として琵琶は宗教から離れたわけですが、いっぽうで梶谷さんのように天台宗僧侶が継承した盲僧琵琶に触れることができ多くを学びました。
盲官廃止後、視覚障害者の職業は鍼按と音楽の二つが柱となりました。いずれも当道座の流れを汲み、触覚と聴覚、手の技能と深い言語理解を伴うものでした。箏、三味線のように早くから大衆的な芸能となったものは、宮城道雄をはじめ優れた音楽家を得て、明治以降も確かな地位を築きます。そこで多くの盲学校が何らかの形で音楽科を置き、邦楽を職業教育として実施しました。九州でも、長崎盲学校とともに大分、福岡盲学校に音楽科のあったことが分かりました。しかしその中で琵琶はほとんど取り上げられていません。盲教育は生業としての琵琶を手放したことになります。今回私たちは筑前琵琶の奥深い魅力に触れることができました。そこでもう一度、視覚障害者と琵琶がパートナーとして過ごした長く豊かな時間を振り返りたいと思いました。
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英語:Japan Society on the History of Blind Education
エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)
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