掲載:2019年12月30日
最終更新:2019年12月30日
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相次ぐ台風や大雨の災害と共に天候が心配された10月26日(土曜日)、日本盲教育史研究会の第8回総会・研究会が、京都府立盲学校花ノ坊校地において開催されました。今大会は参加者57名で、ボランティアの方なども含めると70名程となりました。被災された方々には心よりお見舞い申し上げますが、前述のような状況にも拘わらず、前回の京都大会を上回る方がご参加くださいましたこと、主催者として大変ありがたく思っております。
また、文部科学省の青木視学官、会場校の中江校長などが参加くださると共に、初参加の方が15名以上もあり、その中に点字関係団体のリーダーや会員が複数おられたことや、学生さん達等、若い方の参加もあったりと、新鮮で賑やかな会となりました。
歴史と伝統を誇る京都府立盲学校での研究会は、資料室の見学から始まり、まさしく本研究会に相応しい歴史の重みを感じながらの大会となりました。
今回は「日本点字の歩みとこれから」というテーマで、点字離れが進む昨今の現状を踏まえ、これからの点字はどうあるべきかという視点で研究・協議しました。いろいろと考えさせられる意見が多く出され、活発な議論がなされました。これらの議論を通して、点字の未来がある程度考究できたのではないかと思っております。
当日の日程は以下のとおりです。
09時30分 | 資料室見学=国の重要文化財などの見学(希望者のみ) |
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10時30分 | 開会,吉松 副会長 あいさつ,総会(会員のみ) |
11時00分 | 諸連絡,会長あいさつ,文部科学省 青木視学官 あいさつ,京都府立盲学校 中江校長 あいさつ |
11時15分 | 講演「盲界ジャーナリズムに携わって」 日本点字図書館理事長 田中 徹二 氏 |
12時40分 | 昼食 休憩 |
13時30分 | 研究発表(3題) 1 「触読力から聴読力へ 〜音声ガイド付き打鍵文字が点字を駆逐する時代が来る!?〜」 2 「文部(科学)省著作教科書に見る点字教育の変遷(読み書き指導を中心に)」 3 「点字図書館の点字表記の変遷」 |
15時00分 | 休憩 |
15時15分 | 討議 |
16時25分 | 大橋 副会長 あいさつ,閉会 |
総会では、前年次の活動報告、今年次の活動方針、決算報告、予算案等の提案が岸事務局長、冨田会計担当からなされ承認されました。
その中で、会員数の拡大、特に理療科教員や若手の入会を促進すること、本年次の第7号からは会報を毎年発行すること、10周年に向けての準備をすること、運営委員の長期的見通しに基づく構成を検討すること等が、確認されました。
記念講演は、田中徹二氏の豊富な経験に基づく視覚障害関連ジャーナリズムの歴史が話されました。
NHKラジオ第2放送で1964年からスタートした「盲人の時間」は、「視覚障害者の皆さんへ」「聞いて聞かせて」「視覚障害ナビラジオ」とタイトル名を変えつつ、時代に対応してきたことが分かりました。その中で、特に働く視覚障害者のことを採り上げ、視覚障害者の新職業を紹介する等、彼等の世界を広げる番組を企画していったようです。
東京へレン・ケラー協会が1970年から発刊した月刊「点字ジャーナル」は、「点字毎日」の出張所が東京へ来なくなったために発刊したという裏話も聞くことができました。この中での「盲界マスコミ拝見」という企画では、盲界ジャーナリズムの在り方について、視覚障害者の世界のみに留まっているという点から、批判的にも採り上げましたが、先の「盲人の時間」での企画経験が大いに役立ったとのことでした。
日本盲人福祉研究会(文月会)が、1963年から発刊した機関誌「新時代」は、1976年に「視覚障害 その研究と情報」と名前を変え、1979年には隔月、2004年には月刊へと発展していきました。中でも1973年10月発刊の季刊誌「新時代」19号からは、一般誌として、それまでの点字のみの発行に活字での発行も加えるという形に変えていったようです。
当初は、点字から活字への墨訳が大変だったようですが、前述の「盲界ジャーナルが、視覚障害者の世界のみに留まっている」という弊害を打開していったようです。
まとめとして言われた「現代はインターネット等で情報が溢れている。しかし、視覚障害者に必要な情報は意外と少ない。そのためにも盲界ジャーナルが必要。そして、視覚障害者の実状を訴える内容が必要である。これからは、点字のみではなくデジタル活字、音声が必要になってくる。しかし、音声は不正確であるので、それを補完するものとして点字を活用していきたい」という言葉が、強く心に残りました。
研究発表1は「今学んでいる子どもに、点字はどれだけ必要でしょうか?」という問いかけから始まりました。答えは「点字はそれ程必要とは思われない」というものでした。
理由としては、点字がないと困ることを考えていった場合、現在、口頭試験で大学まで行ける、職場でも地域でも、全く点字を使わなくても通用し、音声だけで十分である等々を考え合わせると、特に点字がなくて困ることは見出せない。次に音声が点字に劣っている点を挙げると、短いメモでも機器が必要、楽譜の音声化が難しい、図や地図等の音声化が難しい等々、程度である。以上のことから、音声打鍵文字は、点字より圧倒的に有利であると考える。
したがって、小さい頃からの教育では「聞き取る力」をつけることが大切であると考える。これには1回聞いたら理解するという力、すなわち「聴く力」、「触る力」に基づく概念を形成することが大切である。そして、その概念を基にイメージできる力を養うことが必要であると思う。
以上のように点字の未来を考える上で、大変示唆に富む興味深い内容で、「点字は現代のモールス信号の位置にとどまる」という一文が、大変心に残った発表でした。
研究発表2では、昭和38年、昭和58年、平成8年、平成14年、平成23年発行の点字教科書と我が国初の著作教科書である昭和4年の盲学校初等部国語読本を基に、その変遷が述べられました。
昭和38年のものは、点字の読みを体系化したもので、現在の点字触読教材の基盤となっている。昭和50年に最初の「点字指導の手引」が発行されたため、58年の教科書編集資料に、点字教材導入に関する「両手読み、行辿り、点の位置の弁別」等の記述が掲載された。平成8年には、7年の「点字指導の手引(改訂版)」に基づき、点字のパターン認知の理論が、導入教材として採用された。平成14年には、これまでの導入教材が多すぎるという反省から半減された。平成23年は、「点字指導の手引(15年改訂版)」を基に編集され、導入教材が分冊となった。
この内容に加え、最後に昭和4年発行の教科書には、1年用の点字導入教材として、異年齢児に対応した2冊の教科書があったこと、保護者向けに墨訳が付いていたこと、点図が多かったこと、盲偉人伝の教材が採用されていたこと等が話されました。
教科書の変遷を見ることで、その時代時代の点字に対する考え方がよく分かり、大変面白い内容でした。
研究発表3では、地方の点字図書館から見た点字表記の変遷について述べられました。
点字図書館は、盲学校よりも多く、大部分がボランティアによって支えられているため、それぞれの図書館のルールによって作成されていた。しかし、全国ネットワークが普及するにしたがって、全国的に共通のルールを作る必要性が生まれてきた。
その拠り所として「点訳のてびき」があるが、誰のためのものかよく分からない部分もある。点訳ボランティアのための表記法なのか、点字を読み書きする視覚障害者のためのものなのか、よく分からない。もう少し幅があってもよいと思う。例えば、「塩ラーメン」は一続きだが、「味噌ラーメン」は、味噌とラーメンの間を開けて書くようになっている。これは、和語と漢語とでマスあけを区別しているために起こるのであるが、視覚障害者には、その区別がなかなかつきにくい。そのような点には、もう少し幅があってもよいのではないかと思われる。
以上のような内容でしたが、「点字は視覚障害者の文化である。誇りを持って主張することが大事。点字をどう使っていくか、当事者の自覚が大事」というまとめが、次の討論へ繋がる言葉となりました。
これらの研究発表や講演を踏まえて全体討議がなされました。
討論会は演者や研究発表者全員が前に出てシンポジュウム形式で行われ、以下のような質疑や討論がなされました。
以上、大変多岐にわたる活発な議論がなされました。
点字の未来については、なかなか明確な結論は出ませんでしたが、「点字か打鍵文字か」ではなく、両者の有用性を上手く採り入れてTPOに応じた活用が、大切ではないかと思われました。
また、中学部の生徒が、点字から石川倉次のことを知り、盲教育史に引き込まれていったという話もありました。そして、そのことを通し「歴史は単なる調べものではなく、自分の将来を考えるものへと変わっていった」ということを聞き、本研究会の果たすべき役割を再認識すると共に、盲学校で使用するような盲教育史の副読本作成等も検討する必要があるのではないかと思われました。
閉会宣言では大橋副会長が、「盲教育史は非常に幅が広い分野である。今日話し合われたことを、それぞれの職場に持ち帰り、自分の考えをまとめてほしい」と結ばれました。議論百出の大変有意義な研究会であったと思います。
我が国の 特別支援 教育の 興りし地での 学び楽しき
本文ここまでです。
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英語:Japan Society on the History of Blind Education
エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)
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