掲載:2019年06月10日
最終更新:2019年06月10日
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日本盲教育史研究会の第7回総会・研究大会が、平成30年10月20日(土曜日)に、日本大学歯学部4号館において行われました。
今大会は、参加者70名、手話通訳・介助者・ボランティア等を入れれば80余名で、一昨年の東京大会とほぼ同様でしたが、その上に文科省の青木視学官や、特別支援学校長会会長の桑山文京盲校長、全国盲学校長会会長の國松八王子盲校長、筑波大学付属視覚特別支援学校の柿澤校長などが参加くださり、賑やかな会となりました。
これまでの大会は、広く公募をして研究発表をしていただきましたが、それでは総花的で焦点が絞りきれていないという反省もなされましたので、今回については「視覚障害者の職業問題を考察する」というテーマで、午前中の記念講演、午後からの問題提起と討論を行いました。
記念講演では、男性盲人の職業の原点「琵琶法師」を取り上げましたので、近現代の職業問題も、原点まで遡って大きな歴史的パースペクティブの中で考えることができたのではないかと思っております。
当日の日程は以下のとおりです。
10時30分 | 開会,会長あいさつ,総会 |
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11時00分 | 諸連絡 新会長あいさつ |
11時05分 | 講演「平家を語る琵琶法師」 新潟大学名誉教授 前田流琵琶奏者 鈴木 孝庸 氏 |
12時35分 | 昼食 休憩 |
13時30分 | 講演の内容についての質疑応答 |
13時45分 | 問題提起 1 「近代盲教育における鍼按教育を中心に」 2 「新職業開拓をめぐる我が国の取り組みと欧米諸国の相互交流」 |
14時45分 | 休憩 |
15時00分 | 討議 |
16時25分 | 閉会あいさつ |
総会では、前年次の活動報告、今年次の活動方針、決算案、予算案等の提案が、岸事務局長、冨田会計担当からなされ承認されました。ただその中で一点、会報の発行遅滞について、遅くも今年度末までには発行することを確認しました。
また、今回は2年任期の役員改選の年に当たり、引田会長の退任に伴う新会長の推挙等があり、事務局の提案通り承認されました。
新体制は以下のとおりです。
会長 | 伊藤 友治 |
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副会長 | 大橋 由昌 吉松 政春 |
事務局長 | 岸 博実 |
会計 | 冨田 晋作 |
会計監査 | 上野 愛 |
事務局委員 | 飯塚 希世 岩崎 洋二 甲賀 金夫 指田 忠司 中村 真規 引田 秋生 渡辺 譲 |
記念講演は、仮設の演台に正座しての演奏から始まりました。腹に響く朗々とした語りに聞き入っていると「実際にやってみましょう」ということで、私たちも「ぎ〜おお〜んしょうじゃの〜 かねの〜 こ〜ゑえ〜」とうたってみました。
姿勢を正し腹から声を出すので、とても気持ちよいものでした。
次に平家物語の内容や本質について説明がありました。
平家物語は「歴史物語、仏教物語であり、戦乱の続く末法の世の中における人々の生き方や死に方が描かれている。そして、最後は西方極楽浄土へ行くことができるという救済の世界をうたった物語である」という説明を聞いて、日本人の死生観にピッタリと合い、それが長く語り継がれた所以だと納得しました。
伝承では、作者が信濃前司行長で、平家語りの始祖が比叡山で修行をしていた盲目の僧侶「生仏」となっているようですが、正確には分かっていないようです。多くの人々の語りが結集されて一つの物語となり、それが盲人によって語られるようになったのかも分からないとのことでした。最後に奈須与市が扇の的をいる一節を一緒にうたって終わりました。
なぜ、平家琵琶が男性盲人の職業として位置づけられていったのかは、よく分かりませんでしたが、仏教思想と結びついた西方浄土の観念が視覚障害者の救済にも繋がっていったのではないかという点に思いを馳せつつ聞きました。
問題提起1では、近代盲教育における職業問題、特に鍼按教育について、明治期を中心に述べられました。
理由は、視覚障害者の職業として明治期から、音曲、紙縒細工等、いろいろ考えられたが、中心はやはり鍼按であり、現在の職業問題、特に「あはき問題」の源流が既に明治期にあったと考えたからだとのことでした。
近代化の中で、鍼按の危機は何度かありましたが、いずれもその根底には、西洋医学に対する漢方の理論的劣弱性や、視覚障害者が医療的行為を営むことへの不安、晴眼者の進出等々があったようです。
それらに関しては、明治4年の当道座廃止、明治7年の医制発布、18年の「鍼術灸術営業差許方」、同年、東京盲学校が官立となって僅か10日で、鍼治教育が廃止になったこと、その後矢田部校長により明治20年に復活した経緯、太平洋戦争後のGHQによる鍼灸禁止要求「マッカーサー旋風」等の詳しい説明がありました。
一方、医業類似行為における無免許営業問題も、常に大きな課題であったようです。
また、晴眼者と視覚障害者の収入の格差も大きな課題だとふれられました。これらの諸課題を解決していくためには、明治期からの問題解決の方法をきちんと分析して、現在の事に当たっていく必要性があると、強く感じながら聞きました。
問題提起2では、盲学校教育の中で長く行われてきた伝統的教育「鍼按」「音曲」以外の新職業に対する取り組みが紹介されました。その流れは欧米諸国の盲人事情の紹介による啓発、及び失明軍人の社会復帰に関しての営みの二つがあったようです。
以上二つの流れについて説明があった後、戦後のリハビリテーションの考え方に基づく新職業の開拓や職業訓練、盲学校への研究指定について話されました。
1980年代以降は、ICTの開発普及と、障害を理由とする欠格条項の見直し、差別の廃止等を通した社会制度の改革の影響が大きく、ますます新職業の開拓が進んでいる、と話されました。
このように、我が国の新職業開拓は欧米諸国から大きな影響を受けています。
その一方、1884年にロンドンで開かれた衛生博覧会に京都盲唖院が出展した我が国の「鍼按教育の事例」が、英国盲人援護協会のマッサージ・理学療法学校の設立や、フランスのヴァランタン・アユイ盲人福祉協会の理学療法学校の設立にも繋がり、欧米諸国では「鍼按」等が、新職業として注目されているといった話には、大変興味深いものがありました。
以上の問題提起を踏まえ、以下のような質疑や討論がなされました。
1)理療科生徒の少人数化、高齢化、健康問題にどう対応したらよいか。
現場の先生方と盲教育史の会員とで、このような討論会を持ちたい。
海外へ理療の魅力を発信すべき。 現に、マレーシア、インド、スリランカで行っている。
海外だけではなく、我が国の視覚障害者にも魅力を伝えるべき。
理療教育を、より魅力的なものにする努力が必要。
2)晴眼者と視覚障害者の収入格差を、どのように考えたらよいか。
進路指導の悩みである。
理療教育の再検討が必要で、やり甲斐について更に指導すべき。
3)職業教育以前に自立活動が必要。 その辺をどのように考えたらよいか。
他人と如何に緊張感を持って関わるかという機会を持つことが大切。
盲学校の教員は「本当の配慮、本当のサポートとは何か」をもっと考えて、指導に当たるべき。 手を出しすぎでもある。
なかなか結論は出ない大きな問題でしたが、終了時間が気になるほどの白熱した討論が、展開されました。この中で、職業問題は「視覚障害者の適職を探すのではなくて、誰もがやりたい職業に就けるように支援することが大切」であるという指田氏の言葉が強く心に残りました。
ここで出された課題や研究会のあり方については、今後の運営委員会で検討して、本会の事業や、来年のミニ研修会、総会・研究会に活かしていきたいと思いますので、是非ご意見をお寄せください。
いにしへの 琵琶の音色に さそはれて 我等が行く手 七つ星見ゆ
本文ここまでです。
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英語:Japan Society on the History of Blind Education
エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)
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