掲載:2017年12月02日
最終更新:2017年12月02日
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日本盲教育史研究会の第6回総会・研究会が、平成29年10月21日(土曜日)に、京都府立盲学校花ノ坊校地(高等部)2階‐多目的教室,1階‐資料室において行われました。大型の台風が接近している中で、開催が心配されましたが、雨の中、53名の参加者がありました。
特に今回は、午前に増改修され一新した資料室の見学、午後の研究会冒頭、会場の提供に快諾いただいた京都府盲校長中江祐氏の会場校校長挨拶、資料の発掘・保存を巡っての議論など例年の研究会にはない内容もあり、より充実した研究会になりました。改めて、この場を借りて京都府立盲学校の関係者にお礼申し上げます。
受付開始(朝9時30分から)
資料室見学(10時00分から12時00分 2交代制)
第6回総会(11時00分から12時00分)
会員のみ 司会 : 吉松政春
第6回研究会(13時00分から16時30分)
司会 : 大橋由昌
『石川県の盲教育史研究
―「人」にスポットを当てた石川県立盲学校の史実に関する一考察』
松井 繁 氏(金沢星稜大学講師,元・石川県立盲学校教諭)
発表司会 : 岩崎洋二
14時50分から15時50分 次の2名(各30分)
16時00分から16時25分まで
16時25分〜 大橋由昌
研究会開始前の午前中、このほど増改修された京都府立盲学校資料室の見学が二回のグループに分けて行われました。既存の資料室に加え、別室を確保し、可動式書架の設置、古文書保存用の箱や封筒の導入、断熱材を用いた壁の補修、LED照明の設置など、より資料保存に適した状態になっていましたが、これらの工事・備品購入に要した費用は約一千万円ということでした。展示品のうち700点ほどは、京都府の文化財として指定されており、更に明治期の行政文書は既にデータ化され、資料室のパソコンを使い、閲覧することができるということです。
見学者は、資料室担当の丁寧な説明を聞きながら、紙撚細工、木刻文字や受恵箱などを実際に手に取り、資料の重要性を実感しつつ、感嘆の声が度々出ていました。また、「盲生遊戯図」や「直行練習場」、「方向感覚渦線場」、「打毬聴音場」などの掛け図は盲教育の先人が苦労して実践した様子を目の当たりに見る思いでした。この見学は実質的に研究発表の1つとも言えるものでした。
たまたま、研究会直前の運営委員会でも、資料とは何か、書誌情報の中味とは等について若干の研修会を持っていましたので、今回の資料室の見学と後述する総会の討議で資料の発掘、保存、活用等について若干の議論ができたことはとても有意義なことでした。
事業・決算報告・監査報告、事業計画・予算、会則改正案については特に異論はなく、承認されました。その後の30分弱の時間を当てて「盲教育史資料の発掘・保存・活用をめぐる状況や問題意識」を交流することにしました。午前中の資料室の見学も影響してか多くの意見が出されました。神戸市立盲学校等数校の盲学校の資料の保存が話題となりましたが、これに対して、国立の研究所で勤務経験のある会員からは「資料保存を行っている機関に相談するとか科研費等の助成金を申請し、調査・保存の費用に充てるのがよい」との助言もありました。
また、盲史研のレジメや「歴史のてざわり・もっと!」の刊行やむつぼしの復刻の継続、音声化等の要望も出されました。資料の保存には酸性化を防ぐ中性紙の使用などのノウハウも必要とか、点字資料の保存にはあまり熱心でない傾向があるので、古い点字を見つけたら盲史研に連絡をするとか盲教育資料の発掘・保存に積極的に対応しましょうとの意見も出されました。短時間でしたが、会の目的に関わる貴重な議論ができたと思います。
研究会の冒頭、会場校校長挨拶で中江祐氏は自身の体験から、歴史研究の重要性を訴え盲史研に対しエールを送っていただいたことは、勇気づけられる思いがしました。
記念講演は、5月の金沢のミニ研に引き続いて、松井繁氏が『石川県の盲教育史研究―「人」にスポットを当てた石川県立盲学校の史実に関する一考察』のタイトルの下、以下の6つの事例でキーパーソンの果たした役割を中心に話されました。
(1) 金沢盲唖院を設立した松井精一郎 (1880年 明治13年)
(2) 盲教育の私塾を設立運営した番匠乙松・和田文右衛門・成瀬哲 (1900年前後)
(3) 自宅に金沢盲唖学校を創立した金沢市議・石川県議兼任の上森捨次郎 (1908年 明治41年)
(4) 前校長の不祥事を徹底糾弾し、石川盲の改革・再興に貢献した笠井貞康 (1927〜33年)
(5) 盲聾分離に反対し、県教委とアメリカ軍政部に血判を押した陳情書を提出した盲学校生徒代表 (1946年 昭和21年)
(6) 理療教育を刷新した宮村健二教諭 (1984−1992年)
当時の時代背景を丁寧に説明しながら、これらの傑出した人々の活躍を描き出しました。そして、「改革や刷新の時は、必ずそれをリードする情熱的な人物の存在がある。」「その人物が転退職すると改革は一旦止まってしまったかのように見えるが、その影響・足跡は必ず後世に残り伝わっている。」と結論づけました。
そして、これらの人物が果たした役割を当該の学校の生徒に教えることの重要性、ひいては、盲教育史を大学の教員養成課程の必修科目として位置づけることの重要性を訴えました。
このことは、本研究会の活動目的に照らしても、重要な具体的提言だと感じました。即ち、例えば、各盲学校における副読本の作成とか教職科目としての盲人史の中味をシラバスも含めて具体的に検討していく段階に来ているのではないかということです。そして、その前に、総論的な視覚障害教育における盲人史の位置づけを関係機関に提言していくことの大切さを感じました。換言すれば、盲史研6年の研究実践の経験から、新たな使命、取組が求められているのではないかということです。松井氏の講演は私達に大きな課題を与えていただいたと受けとめました。
長谷川貞夫氏が「1951年に知ったルイ・ブライユ点字とコンピュータ時代以後の点字の展開」(点字情報処理の経緯)というタイトルで発表しました。最初に、体表点字(「ぴかぶる」という振動を感じる電子機器を耳に付け、iPhoneから送信された点字データを受信するもの)デモし、俳句を受信し、更に講演の経過時間を受信することから始まりました。
前半は御自身の半生と重なる、点字との出会い、全点協運動(全国盲学校生徒点字教科書問題改善促進協議会)や、録音図書の歴史、コンピューターを使った点字と墨字の研究・実験等の報告がありました。時間の関係で体表点字の具体的な説明はありませんでしたが、配布された資料によりますと、幼児期から学習すれば、墨字、点字に続く第3の文字になる可能性を秘めているということです。「ぴかぶる」とスマートフォンのイッピツ(一筆)というソフトを組み合わせればスマートフォンの画面上で入力された点字を振動で受け取り盲ろう者でも判読できるものです。健常者、視覚障害者、ヘレンケラーのような盲ろう者が相互に通信を行えるものとして、2020年東京オリンピック・パラリンピックでは盲ろう者にヘレンケラー放送で中継放送できることを目指しているとのことです。
高齢にもかかわらず、最先端の情報処理技術を研究し、障害者の情報保障に役立てようとする旺盛な研究心に敬服する次第です。
「鳥居篤治郎先生と京都ライトハウス」と題して田尻彰氏の研究発表。田尻氏は鳥居が 亡くなる時、京盲の学生であり、直接的に鳥居の人柄に触れる機会はなかったが、京都ライトハウスに勤務するようになってから、鳥居の実績や足跡を知り、鳥居の偉大さに圧倒されたとのことでした。具体的には次のような項目で話されました。
(1) 鳥居スピリットの原点。
(2) 「ライトハウスビジョン検討会」(上村元館長の思いと私達への語りかけから)。
(3) 京都の鳥居→日本の鳥居→世界の鳥居の存在感と広い見識。
(4) 『「盲目は不自由なれど、盲目は不幸にあらず」としみじみ思ふ』の言葉に突き動かされた中途視覚障害者の声。
(5) 白杖安全デーの産みの親。
(6) 鳥居寮 京都ライトハウスに占める存在感。
更に、鳥居先生の生き方から問いかけられる現代的な課題として次の7点を挙げました。
(1) 幼小児期の恵まれた家族関係の中で芽生えた豊かな情操。
(2) 三療以外の進学に対する強い思い?
(3) 東京での文化人との出会いと世界観の広がり。
(4) 伊都夫人との出会い。
(5) 京都府立盲学校副校長としての誇りある校風作り。
(6) 京都ライトハウス創設とその後の発展に向けた鳥居構想。
(7) 日本点字の発展に貢献された実績。
また、鳥居が1965年当時海外から学んだ新しい情報と知識を駆使して作成した「ライフサイクルビジョン」は今日でも通用する先駆的な提案だとし、「先見性、総合性、そして何よりもヒューマニティ(愛盲精神)に裏打ちされた鳥居スピリットの流れを継承することが今日の私達に課せられた課題だ」と結論づけました。
講演や研究発表に関した質問意見が出されましたが、長谷川氏の発表では、質問の時間が取れなかったこともあり、何点か出されました。話題となったことは、体表点字の実用性、六点漢字の評価、障害者にとっての情報テクノロジ?、鳥居の国際性とバハイ教、エスペラントとの関連、盲唖院の設立とキリスト教、仏教との関係、人物の後世に与える影響等でした。
前述したように、今回の研究会の特徴は、新装なった京都府盲資料室の見学もあり、資料の発掘・保存・活用について一定程度の認識が共有できたことでした。
また、盲教育史に関する研究成果を各盲学校の中で生かしていくことや、大学の教職科目の中に位置づけるなど新たな取り組みも提起されました。私達に課せられた課題は大きなものがあることを再認識した研究会でした。今後会員の皆様と共に、これらの課題に具体的に取り組んでいきたいと決意を新たにしました。
本文ここまでです。
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英語:Japan Society on the History of Blind Education
エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)
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