日本盲教育史研究会

掲載:2016年11月20日

最終更新:2016年11月20日

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「第5回総会・研究大会」開催のご報告

日本盲教育史研究会「第5回研究大会」を終えて

日本盲教育史研究会 副会長 伊藤 友治

 日本盲教育史研究会の第5回総会・研究会が、平成28年10月22日(土曜日)に、筑波大学東京キャンパス文京校舎において行われました。今大会は第5回の節目の大会ということもあり、参加者83名、手話通訳やボランティアの方々も含めれば、優に90名を超すというこれまでにない大人数での開催となりました。これもこの5年間の活動を通して、聾史研究や音楽界等、隣接する他分野との交流を広めてきた結果だと嬉しく思っております。

 当日の日程は、以下のとおりです。

10時30分

開会 ・ 総会

11時00分

諸連絡,会長あいさつ

11時15分

研究発表2題

1 「むつぼしのひかり 墨字訳第一集」出版とそこからわかること 
むつぼしプロジェクト 土居 由知 氏,岩崎 洋二 氏

2 昭和初期における箏曲の点字記譜法の特徴 
お茶の水女子大学大学院 村山 佳寿子 氏

12時15分

昼食 ・ 休憩

13時15分

記念講演「瞽女(ごぜ)・旅芸人の歴史と伝統」 
山梨大学教育人間科学部教授 ジェラルド・グローマー氏

14時45分

休憩

15時00分

研究発表2題

3 江戸から近代への理療の発展 
群馬県立盲学校教諭 香取 俊光 氏

4 楽善会と凸字聖書 
筑波大学附属視覚特別支援学校教諭 山口 崇 氏

16時00分

全体討議

16時30分

閉会

 総会では、前年度の活動報告、今年度の活動方針、決算案、予算案等の提案が 岸 事務局長からなされ承認されました。ただその中で一点、会報の発行遅滞について質問があり、担当者を補充し早急に具体化していくことを確認しました。

 また、今回は2年任期の役員改選の年に当たり、これまでの役員に新メンバーを加えたより強固な体制が、事務局の提案どおり承認されました。新体制は次のとおりです。

会長

引田 秋生

副会長

伊藤 友治 大橋 由昌 吉松 政春

事務局長

岸 博実

会計

冨田 晋作

会計監査

吉田 愛

事務局委員

飯塚 希世 岩崎 洋二 甲賀 金夫

指田 忠司 中村 真規 渡辺 譲

 研究発表1では、東京盲学校同窓会誌「むつぼしのひかり」墨訳に関する苦労話から、その作業を通して分かったことについての発表がなされました。墨訳の作業を開始してから発刊までに10年もかかってしまった理由としては、資金不足、明治の点字の墨訳の困難性が挙げられました。

 ただ、この雑誌は単なる同窓会誌に留まらず、当時広く視覚障害者の総合的な相互情報誌として、彼等の文化や教育を牽引していたという貴重な史料であることも分かりました。その中には、初代編集長の熱い思いや小西信八の卒業式式辞、ヘレン・ケラーに関する篠田報告等、現代にも通じる広い視野に立った革新的内容が綴られているとの報告がありました。これらのことからも、この作業の意義を強く感じると共に、今後の更なる研究を期待したいと思った次第です。

 研究発表2は、筑波大学附属視覚特別支援学校資料室の「宮城道雄作曲集」から、昭和初期における箏曲点字記譜法の特徴について研究したものでした。箏曲の点字記譜法の種類としては、(1)西洋の点字楽譜のシステムを基に考案されたもの、(2)弦名によるもの、(3)唱歌(しょうが)によるもの、の3種があるようですが、宮城の作曲集を解明することにより、昭和初期には、西洋音楽の点字楽譜の記譜法により行われていることが分かったとの発表でした。

 このことにより、西洋音楽の要素を採り入れた邦楽が、飛躍的に発展したであろうことは、門外漢の私にも理解できる興味深い発表でした。

 グローマー先生の講演は、膨大な史料を基に行われた研究の中から、近世・近代における瞽女の社会的位置、また、瞽女が芸能に果たした役割と意味、甲斐の瞽女と越後の瞽女、瞽女の組織形態としきたり、瞽女の唄と伴奏楽器など、演奏の録音を聞きながら軽妙な語り口調で行われました。女性として、障害者として二重三重の差別を受けていた彼女たちが、相互扶助の組織を作り子弟の教育を行い、たくましく生きている姿には、当時の人々も「優れた芸能に対する畏敬の念があったのではないか、だからこそ、産業の発達により、中世には見られなかった全国的規模の芸能市場の中で、職業として成立したのではないか」という先生の言には、非常な感銘を覚えました。

 瞽女唄の録音を聞きながら、私が幼少の頃、門付けで訪れた「三河神楽」の節と重なる何か懐かしい温かいものを感じました。現代においても瞽女唄の後継者がおられ、継承されているとのこと、末永く伝統芸能として唄い継がれることを願いつつ、講演を聴いた次第です。

 研究発表3は、墨字1116ページという大著「群馬県盲教育史」や香取氏著「愛盲の光と情熱 ―群馬県立盲学校創立110周年記念回顧録―」を基に、江戸時代から近代に移る過渡期における理療の流れについての発表でした。

 杉山和一により教育システムが構築され、職業として成立していった理療が、明治4年の当道座廃止、学制・医制の変革の中で、危機的状況になった時、地域の篤志家、キリスト者、僧侶、視覚障害当事者などの努力により「盲学校」として再生していったという氏の話は、大変興味深いものがありました。このことが、全国的に言えるものかどうか、今後の横断的研究に期待したいものです。

 研究発表4は、明治8年に設立の提唱がなされた楽善会の変遷と設立時に作成された凸字聖書についての報告でした。これによれば、設立当初は、会員の中にお雇い外国人やキリスト者が多かったため、キリスト教色が強かったが、明治9年の山尾庸三加入に伴い、急速にキリスト教的性質を失ったとのことです。このことから、当初試みられた凸字聖書の作成も下火となり、教育の場で活用されることは、ほとんどなかったようです。

 ただ、このような方々の熱意により我が国の盲教育が始まったことは事実だと思われます。また、これらの経緯が「パーキンス盲学校同窓会の月刊誌」にも掲載されていることに驚くと共に興味深く聴きました。

 全体討議では、本日の講演や研究内容についての質疑、5年間を振り返っての本会の取り組み等について、意見交換がなされました。

 特に本会の今後の取り組みとしては、各地域や学校に散在している資料を収集保存すること、現存されている方々の貴重な証言を録音に残すこと等の意見が出されました。また、個々の研究を繋ぎ合わせる使命、すなわち研究発表3で見たような各地の縦断的研究が、全国的に普遍性があるものかについて、横断的にとらえる役割を果たすことも本研究会の使命ではないかと思いつつ会を終了しました。

 六つ星の光たずねし五歳月いつとせを けふ茗渓に学び言祝ぐ

本文ここまでです。

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英語:Japan Society on the History of Blind Education

エスペラント:Japana Societo pri la Historio de Blindul-Edukado(ヤパーナ ソツィエート プリ ラ ヒストリーオ デ ブリンドゥール・エドゥカード)

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